いつだってルナティック | いわゆる認識の相対性

いつだってルナティック

そう昨日の帰り道、東から昇った月は
金貨のようにまん丸なのだった

私は近ごろこれまでにないくらい自分でいて
それは本当に幸せなことで
他の人から見ると少し常軌を逸しているのかもしれなくて
でもそれぐらい自分でいることは楽しいことなのだ


先月と同じように満月が昇る
先々月と同じように潮が満ちる
当たり前のように満ちたり欠けたりする月は
生きている私の心を引き上げる
引き上がった心は叩きつけられる

来月も同じように満月が昇る
来々月と同じように潮が満ちる


人にはどこかしら弱いところがあって、それを持っているから人間なのだと思う
どんな強い人でもそれはあるのだろう

そんな自分だって受け入れているつもりだけど
やっぱり嫌になってしまうこともあって
特にこんなに月の美しい頃
どこかの誰かにアキレス腱を握られている自分が哀しくなってしまう


鋼の身体を持ってしても、握られていた足首はそのままに…

どれほど強くなっても足首が痛めば立ち上がれなくて

「いつか」や「また今度」なんて言葉の裏側を十分わかりすぎているくらい大人なのに
それに縋り付いている自分の惨めさなんかも明らかに見えていて
先月と同じように満月が昇り
来月も同じように満月が昇るのだって何十億年保障なのだ


在るがままでいる
いつまでも欠けたり満ちたりする月のように
陽でいても陰でいても私はいつだってルナティックで
まるで満月のように丸い顔だと評された
高校生の頃と同じく
どこまでもの純化を自分に求めてしまうのだ


いい年をしてそんな子供っぽい自分で生きていくしか幸せを感じられない私は
やっぱりいつも、いつだってルナティック