残像 その4 | いわゆる認識の相対性

残像 その4

 そろそろ夕方だった。僕は行き場をなくして大きな公園のベンチに座っていた。この間まで汗をかいていたのにもう秋とは早いものだ。まだ少し紅葉には早いものの、よく見ると落ち葉も少し散っている。なんとなく家族連れが目に入ってくるのはやっぱり子供が欲しいのだろうか。そんなことを改めて考えたことなどなかった。
 小さな子供を連れた若い夫婦が目の前を歩いていく。自分達と同じぐらいの年恰好に見えた。歩くたびにピョコピョコと動く小さな赤い髪留めをしているから女の子なのだろう。よちよち歩きの小さな手を父親が握っている。おぼつかない足元と、それでも歩きたいという小さな意思を父親が支えていた。よく見ると隣を歩いている母親はそれほど目立たないけれど妊娠しているようだった。スニーカーを履いている。
かつさん  なんでもなくそこに子供がいる。僕だってずっとそう思っていた。なんとなくいつかそんな日が来ような気がしていた。妙子も僕も健康だった。夫婦仲だって決して悪いほうではないと思う。それなのになぜ彼女は僕に黙って検査を受けに行ったのだろう。一言ぐらい何かあっても良かった。そうしたらこんな気持ちにはならなかったのに。いつから一人で悩んでいたのだろう。今年のお盆に帰省したときに母が何か言ったのだろうか、僕の居ないときに。なんて言ったんだろう。
 もし僕に何か問題があったとしたら妙子はどうするのだろう。検査の結果だってまだ出ていないのに悪いほうばかり考えてしまう。離婚すると言い始めるのだろうか。不妊治療をするのだろうか。それとも案外なんでもなく子供が出来てあの夫婦のように幸せに暮らしていけるのかもしれない。
 幸せ?
 さっき見た彼らは幸せなのだろうか。もしかしたらそうじゃないかもしれない。でも僕には僕よりは幸せそうに見える。あんな風に娘と手をつないでいたら幸せに決まっている。僕だって先々週までは自分は幸せだと思っていた。
 
久しぶりにやったパチンコ台がふとまぶたの裏に蘇って来た。天釘までは一直線にはじかれ、その先で微妙にズレ始める。さっきは自分の精子のようだと思ったけれど、今では自分の人生のように思える。
パチンコ玉の一つ一つが大学の同級生の顔に重なる。就職という天釘に当たり、思い思いの方向に弾かれていった。僕は恵まれたほうだったけれど、そうじゃないやつもたくさんいる。いまだに結婚していないやつだっているし、せっかく入った会社を辞めてフリーターもどきのやつもいる。いろんな人生がある。僕というパチンコ玉はどこへ転がっていくのだろう。
 教師という職業を選んだから、特別金持ちになろうとか、野心などは初めから持っていなかった。僕みたいにおっとりした人間はそのほうが合っているように思えた。毎年毎年同じことの繰り返しだったが、僕は教えることが好きだし、生徒達の個性はさまざまで、それなりに充実している。あのパチンコ台でいえば大当たりまでは行かなくても、へそのチェッカーに入るくらいの人生を送ってきたつもりだった。そこまで考えると少し自信が持ててきた。帰りに妙子の好きなモンブランでも買って帰って二人で一緒に食べることにしよう。彼女の笑顔が見られるかもしれない。


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